第49回 この数年でカサ・バトリョに加えられた改修はオリジナルへの回帰か、破壊行為か?

スペインのクリスマスは,マイホームで過ごす。
路地にもクリスマス飾りが付けられて毎年趣向を凝らすのだが、今年は不思議にあまりにもさっぱりしている。
いつもだとバルセロナ大聖堂の前も飾りやプレゼントの露店で賑わうのだが、今年は何も見ていない。
通常クリスマスというと、キリストの誕生を祝うお祭りである。その為に教会は厳粛に式典やミサが行われる。街の飾りもクリスマスと、南国からの王様達による奉納をもった拝礼を演出する飾りがあちこちで見られる。
特に大きなお店やデパートでは王座が仮設され、立ち寄る子供達は希望するプレゼントを書いて封筒に入れ、王様に差し出す習慣がいつの間にか定着している。

そんな光景を街のどこかで見られると期待して、昨日は夕方、街に散歩に出かけたが期待はずれであった。どの路地も素朴な路地のネオンで飾られていたが、サンタクロースの姿も王様の姿も見ることはできなかった。

カサ・バトリョの周辺も毎年趣向を凝らしたネオンになっているのだが今年だけはどうも殺風景な感じもした。
私が1978年にこの建物の実測を始めて以来、今まで数えられないくらい何度も目にしてきた。
いつもと変わらない姿と思うだろうがそうではない。
例えばバルコニーの色は、以前は黒に限りなく近いネズミ色で仕上げられていた。
それがバルセロナ・オリンピックを前後に持ち主も替わり、バルコニーの色がベージュに変えられたのである。
理由は当時の写真技術の現像によるとのことで、本来はベージュ色であるとガウディ研究室では説明していた。
私が目にしてきた当時の写真では、暗色は、やはりモノクロのフイルムで写しても暗い色となると信じているので、私はまだ研究室の説明に納得していない。

すでに1871年には写真乳剤が塗られたガラス板を利用した写真機もでてきて、シャッターもようやく取り付けられた時代である。そして1888年にはセルロイドに感光乳剤を塗布したロール状のフイルムも製造されるようになり、その生産をコダック社が始めている。
それから18年後にカサ・バトリョの作品が撮影されているのである。
当時の色の識別を白黒写真からどのように想定できるのだろうか。
アイデア募集といったところだろう。

ついでに一眼レフができるのは1950年まで待たなければならなかったが、それから40年後の1990年ではデジタルカメラが出現した。
このカメラでオートマチックにして暗がりをフラッシュ無しで撮ると、嘘のように明るく被写体が写る。

ガウディの写真技術への関心は、サグラダ・ファミリア教会の模型とモデル制作の段階で示している。
当時の写真は高価なものである。ガウディは一枚の写真で裏面、側面、正面を一度に見られるようにモデルの後ろに三面鏡を置いて撮影している。
一方でコロニア・グエル地下聖堂の逆さ刷り構造実験では模型の写真を写し、それを逆さにすることで疑似的に建物が建っているかのように想定してその上からポスターカラーで着色して建物デッサンをしている。
作品を計画するのに既にガウディは写真の技術を応用してデザインを展開させようとしていたのである。

またカサ・バトリョの所有者が替わってから一階の間仕切りは変えられ、地下へのアクセスも入口付近に螺旋階段がつけられて一部変更されている。2005年に世界遺産となったカサ・バトリョである。世界遺産に指定される前にこの工事はされているが、これからはそんな改造も許されなくなる。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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