第64回 ガウディの作品は、建築物に非ず?

ガウディの経験主義は“人生は会話である。誰かが勤めて人が来る。教える人、学ぶ人、それには場所が必要である。”という言葉でも表現されている。

“図面よりも模型”、“模型より現場で指導”型を勧めたガウディの建築姿勢は、このカサ・ミラの工事現場でも見ることができる。
カサ・ミラの場合は、外壁の曲面の切体方法(石の切り方)も検討しなければならない。それぞれの石のサイズも形も違うことから、模型が無ければ不可能な施工であったことは理解できる。
その意味では彫刻と変わりないということになる。
さらに当時約4000立方メートルの体積オーバーをして、10万ペセタの罰金を払うか撤去するかという事件があった。当時の市役所のバルセロナ拡張委員会において、建築家審査官であったブエナベントゥーラ・バセオゴダ・ムステが、“カサ・ミラを建築としてではなく記念碑(又はモニュメント)としての扱いにすることで建築基準を適応しない”ということで決議され、1914年12月7日に証明書を発行したというエピソードは余りにも有名な話しである。
建築基準法からすればカサ・カルベもカサ・バトリョも基準を超えている作品である。
しかし、どれもが最後まで罰金も建築変更もせずにプロジェクトを完成させている。ここに、スペイン人のアートに関する寛容さが表れている。

私は、鉛筆による下書きの上から初めは0.1mmのロットリングを使って、点描画で輪郭を描き始める。作業は難航する。凡そ4畳半ほどの下宿に70x80cmの製図板を置いて、そこで夜中の作業であった。
次第に輪郭が見えてくる。腕と頭がさえてきた。
その頃、他の下宿人達はカタルニア人で二人の年輩女性、その他に家主のホワンおじさんがスイス-バルセロナという生活環境の中で作家業を営んでいた。

毎週末日曜日の昼は、同居者全員が一緒になって昼食をとった。時には親戚達もやってきて賑やかな食事で、豪華なパエージャをご馳走してもらったものだ。
私も腕を振るってチャーハンなどご馳走したこともある。
これは正に国際交流である。
チャーハンとカサ・ミラは何も関係ないが、少なくともパエージャはスペインの名物料理である。大きな平たい鍋に魚介類や野菜、さらに鶏肉や兎の肉まで入ることがある。
その盛りつけはレストランによって異なるが魚介類の殻をつけたまま出す方法と殻を全てはずして出す方法の二つがある。
どちらが美味しいかというと見栄えと気持ちの問題である。
私は殻のついた方を選びたい。なぜかというと殻があればその部分を手掴みできて、中の汁をすすることもできるからである。
殻つきの方は、ダシが濃縮されて美味しく感じる。
美味しい話しは棚に置くことにする。

1967年のある日、ガウディ研究室で写真と本からセサール・マルティネールが彼の本の中で1950年に起こしたという平面図と立面図を紹介している。
そこで1954年には改造計画申請図をマルティネールが描いていることもわかった。
勿論ガウディは、建築許可申請図を提出しており、そのオリジナルが現存することから、現実に施工した建築と比較することができる。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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