ガウディは創作について“ものの実現は創造の法則に従うことであり、そのためには創造の基礎になる経験が不可欠である”としている。
神話の基礎になる社会的経験がギリシャ時代においては商人達の冒険になるのであろう。
つまりギリシャ時代やローマ時代も彼等はイベリア半島に遠征する。
イベリア半島にはオリーブとそしてオレンジがなっている。
しかしギリシャ語やラテン語にもこのオレンジ(スペイン語ではNaranja)の単語やそれに近い単語が見あたらない。とすればその言葉もオレンジを表現する造語として考えると、オレンジをリンゴによって表現するのに “金のリンゴ”としたのだろう。
勿論、形も味も実も違うのでオレンジの想像はつきにくいが、金に例えるほどに特殊な果物であるということを表現したかったのではないだろうか。
そしてヘスペリスは、アトランティダに位置していたとしていることからギリシャを中心にした西の端ということはやはりスペインに当たることにもなる。
神話と社会の関係を検討するのは民俗学の分野だろうが、このテーマは言語学、歴史、が絡み合った民俗学と言うことで非常に面白いテーマとなる。
神話が、当時の社会情勢、英雄伝、習慣を伝承手段として語り伝えられていたことから、ヘラクレスも、ギリシャ神話の架空の英雄となる。しかし社会背景が神話に反映されているとすれば、このヘラクレスは、商人達による海外での活躍の姿を表現しているという解釈ができる。
しかもギリシャ人は、船にのってヒスパリス(セビージャ)又はヒスパニア(ローマ時代のスペインの呼び名)に訪れその“金のリンゴ”たる“オレンジ”を見て母国に持ち帰ったという解釈もできる。
確かにスペインにはヘラクレスを象徴した彫刻や絵画がセビーリャを始めとしてスペインの所々に彫刻や神話として残っている。
それはギリシャ・ローマ時代の植民地活動の名残でもある。
ギリシャ時代にその西の国スペインのカタルニア地方アンプリアスに紀元前550年頃にギリシャ人が上陸し、小さな街ネアポィス(Neapolis)を築く。その後にローマ時代の遠征もある。
1907年には、建築家プーチ・カダファルクの指揮の元に発掘が始められ、1940年にはバルセロナ考古学博物館の管理となる。
このように歴史的経緯に基づいて神話の裏付けを推理するとさらに楽しくなる。
フィンカ・グエルにもガウディ当時の写真から“ヘラクレルの噴水”というのがあってそこには兜をかぶったヘラクレスの胸像もあったことからスペインの歴史を演出していることが伺える。
またガウディのパトロンであったエウセビオ・グエルもギリシャ神話の愛読者であった。
グエルとコミージャス侯爵との関係は、エウセビオ・グエルの妻イサベル・ロペス・ブルーといってコミージャス侯爵アントニオ・ロペス・ロペスの娘であったために義理の親子ということになる。
そんな関係も含めてグエル、ベルダゲール、ガウディの関係ができあがる。