第17回 時間と共に変えられてしまったオリジナルデザインを探る

ガウディは、“サグラダ・ファミリア教会の誕生の門では人間的なものが見られる。農民達による飼育小屋の鶏やカモ、科学者達による星座、神学者によるイエスズの系図となる。同業者は、作品の説明や理論を理解するだろうが、それを宣伝すべきではない”と神秘主義的な言葉を残している。
とすればこれからの説明は、ガウディに内緒にしてフィンカ・グエルの話しを続けなければならない。
彼がデザインした鍛鉄のドラゴンの舌は、当時の写真によると「爬虫類の舌の様に二股」になっていたが、実測中のドラゴンは「ほ乳類と同じような舌」で、牛タンのようにするとかなりのボリュームであっただろう。そんなことを想像しながら午前中は実測と写真撮影、午後は工房でデーターの整理に没頭するがこれだけでは生活ができない。

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生活のために、盆庭を造って売りに出た

他のバイトも考え、結果、模型制作による収入源を思いついた。そこでさっそく“盆庭”に簡単な茶室建築をバルサで作り、街の小物店や日本レストランなどに行商人のように売りに出た。一つの模型を作るのに最低1週間はかかったが、売れ先は殆どが心ある友人達で、その売価格は3000ペセタであった。

ある日本レストランに売り込みに言ったときのことである。
店の旦那は“売ってあげるのだから一つはプレゼントするのが当たり前ではないか”となかなか厳しい対応であった。ところが脇にいたレストランの番頭Kさんは、後で、そっと私に近づいてきて友人にプレゼントするからと言って2個も買ってくれた。その気持ちは涙が出るほど嬉しかった想い出がある。
そんな内職は、夕飯の後にしていた。しかし生活と時間のバランスが合わずその盆庭製作も10個でおしまい。

フィンカグエルのドラゴン
フィンカグエルのドラゴン

昼間のバイトは、相変わらず、フィンカ・グエルの作図作業が続く。
古文書から当時の写真を見つけた。それによるとこの門番の家の煙突がオリジナルとは違っていた。二階の廊下部分にある回廊式窓も当時は開いていたが現在では煉瓦で塞がっていたのである。建築の場合は、長い年月を経過すると時代に応じて用途や設備も変わりそれに応じたデザインと機能に改造されることが多い。その中で基本となるデザインの意図が何をベースにしているのかを探るのが歴史的建造物調査のキーワードとなる。

ガウディのアーチ1

これらの検証作業は、ガウディ当時の作品としてオリジナルに再現することであった。ところが作品によっては、時代の用途に合わせて改造され、作品の特徴がより強調される場合は改造のままにすることもある。
中でも馬舎はその一例で、当時は木製の間仕切りもあったが、カタルニア工科大学が管理するようになってから馬舎の間仕切りは撤去され、ガウディ研究室としての図書室となり今ではアーチだけがそびえている。

その放物線アーチとその建屋の奧にある調教場(ピカデロ)も、実測することで三角形とそれに内接する円弧との合成による半円アーチであることが解った。ボールトとアーチの交差における納まりは、理論的な半円ドームでは納まりきれない曲面部分もあり、それが左官の腕に任されスムーズな納まりに見えるように煉瓦で曲面処理がされている。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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