第26回 ガウディの作品と仕事に影響を与えた人脈

ガウディは“栄光は光である。光は悦びである。悦びは精神の悦びである”と言っている。
ガウディの創作の世界は明らかに光りを求めて光りの建築を求めての人生であったといえる。
ここでその建築を造るにもクライアントが必要となる。
その中で、ガウディが建築家となってからの対人関係はグエルを通しての交流と、サグラダ・ファミリア教会関係者による付き合いが中心であったことから、その範疇でのクライアントが広がりといっても過言ではない。


特にグエルとの交流は、1878年からグエルが亡くなる1918年まで続く。
グエルとはガウディの師であった建築家ホワン・マルトレールを介してのことであり、さらにコミージャス侯爵との出会いの他、同業者のペドロ・マルティル・カルベ、ホセ・バトリョ・カサノバ、ペドロ・ミラ・イ・カンポ達と知り合うことで20世紀初頭の代表的な作品を計画することになる。

一方サグラダ・ファミリア教会に関与した人として忘れてはならないのは、サグラダ・ファミリア教会建設委員会の建築顧問ホワン・マルトレールを筆頭にホセ・マリア・ボカベージャとなる。
しかし、1883年にガウディがサグラダ・ファミリア教会の主任建築家として仕事を始めてから間もなく、1892年に教会の創設者ボカベージャが亡くなることで短い付き合いとなった。

ところがボカベージャの後、1895年まで教会の建設工事をどのように運営したのか不明である。ガウディはあくまでも主任建築家であって、「建設工事現場の運営はガウディの担当ではない」と言うことはボカベージャと契約を交わしていることから明らかである。

そこで、サグラダ・ファミリア教会の継続者で建築家プーチ・ボアダの“サグラダ・ファミリア教会”の年表を覗いてみると、カタラ司教が1895年から96年にかけて教会の建設実行委員会を組織し、F.ミジャン師を筆頭にJ.マルトレール、A.カミン、J.ダルマセス、J.ノゲス、R.ノゲスをメンバーとして挙げている。
これが最初のサグラダ・ファミリア教会建設委員会ということで、この組織が教会建設工事を運営して現在に至る。

中でもJ.マルトレールの存在があることに注目したい。
彼は1906年に亡くなるまでガウディの仕事の顧問をしていた。
つまり1883年からガウディのサグラダ・ファミリア教会での作業はマルトレールを顧問として作業を進めていた事が洞察できるのである。

その中でガウディはあくまでも建築のみを担当していたことから、他にも運営の危機にまで関与するボカベージャの代理人がいたはずである。そのためか、ボカベージャが亡くなって3年後にこの教会建設委員会となるのである。

ガウディとマルトレールの関係もガウディが大学時代からであるから約30年の付き合いということになる。

それらの交流と建築における物語性は、ガウディの建築作品の中で一番解りやすい建築のディテールにも演出され表現されている。

ガウディの場合は抽象と具象を上手に使い分けている。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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