第13回 夏でも冬でも熱いシャワーが欠かせない理由

ガウディの言葉“待つことは忍耐である。消極的ではなくたとえ解決が見えなくとも忍耐強く仕事をすることである” を想い出す。

堪え忍びながら直接建築を測ることは、時間の経過と共にその周囲の移り変わりを経験することで、当時の建設シミュレーションも同時に想定できる。
その体験がどんな意味を示すのかを知るために、はじめは無我夢中で階段の寸法だけを計り続けた。鐘楼の反響板部分に取り付けられている大きな螺旋階段部分では測る箇所が多くなる。しかも冬場の実測は、あごはがくがく、手はかじかみ、記録も満足にできない状態が何度かあった。まるで冷蔵庫の中の様な冷風が石の鐘楼を通って地上から舞い上がってきて、鼻水までも出始めた。そんな時には作業を早く切り上げて下界に降りる。
逆に、夏もまたそれなりの問題がある。
爽やかな風が反響板を通って内部に入り込み、その風の音を自然の声と思って聞きながら実測を進めていると、足下が時々痒くなる。
現場の工事人達の話しでは、「塔の工事中に職人達が“用をたすとき”にはその当たりの影で済ませていた」とまことしやかに聞かされたものだが、冗談だと思っていた。しかし現実にその形跡も数カ所見届けたこともあったので、それを想い出す度に足下は益々むず痒くなる。むず痒くなったら早めに作業を終えて真っ直ぐ下宿に戻り、熱いシャワーを浴びて一安心してからデータ整理に専念した。

そんな経験を繰り返しながらの螺旋階段と反響板(トルナボス)の実測から、階段の傾斜角度が平均45度であることも解ってきた。

目次

地上90mでは、重力と恐怖を組み伏せる勇気が必要

鐘楼内部に取り付けられる鐘の音は、反射板と鐘楼の二重構造によって下部の消音室で音が少々減衰し、外部に対してはほぼ水平に反射音が広がるはずである。
マチアの塔とベルナベの塔は334段で最上階となるので、一段の蹴上が0.21mであるから70.14mの高さに達していることになる。しかし塔の尖塔部分はまだ続く。

この後は一般の立ち入り禁止場所であり最後の尖塔部分である指輪(アニージョ)の部分に達するには10m以上の垂直でしかも直径1mくらいの円筒の中に納まっている約30cmピッチのタラップをよじ登っていかなくてはならない。真っ直ぐな円筒であるから息が詰まりそうにもなるので昇るには勇気が必要である。
垂直タラップをよじ登る作業は非常に重力を感じてしんどい。最上部にある指輪の穴は地上からだと90mとなる。
その開口部に漸く辿り着いた記念に指輪の穴から下界を覗いて写真を撮り、実測作業を手早く済ませて鐘楼の最上部にあるブリッジまで降りて胸をなで下ろす。

当時はこれ以上高い建物が周囲にはなかったのでバルセロナでは自慢の象徴的建築としてそびえ立っていた。

ところが1992年のバルセロナ・オリンピックを境に地域開発と新たなホテルや超高層ビルも建ち始めた。中でも海岸周辺のポブラ・ナウ地区は以前からあった工場地区で、市と州政府の力で買収され選手村として変貌させることで地域の改善が始まった。
しかもサグラダ・ファミリア教会から東側のマリーナ通りを真っすぐ進んだ地中海沿岸には、アメリカの建築集団SOMによりゲートのようにも見える超高層ビルのホテルと隣の保険会社とのツインビルが建設された。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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