第59回 光を取り入れてこその居住空間、蛇行螺旋階段よりも光を優先

ガウディは建築家の心得として“言葉は幾何学の様に具体的であって、装飾的であってはならない。それぞれの機能の形態を見つける事が建築家の役目である。”と言い残している。

カサ・ミラのようにうねった階段は正確には計りきれないので、ある程度の目安を付けての実測とした。
精密な実測による建築物の解析が本来の私の作業目的ではない。
むしろ通常利用している範囲での計測と検証ということに基づき、作図を進めてきた。

造船技術で作られた階段の蹴上は、寸法上はカサ・バトリョとほぼ同じであるが階段幅員が入口部分では170cmと広くなっている。さらに当時の建築許可申請図面の平面図を見ると、二つの大きなパティオに蛇行した螺旋階段が計画されていたことがわかる。

つまり階段の演出が機能と合わせて、蛇又は東洋風ドラゴンのようにして上下階に連絡するような空間をガウディは考えていたことが解る。
ではどうしてこの蛇行した螺旋をガウディは考えたのか?
ベルゴスとの会話で“一階に居住空間が得られるようにするため”と言っているが、その後の計画で、“居住面積が今のままでは少ない……”としていたのである。
どういう事だろう?
現在の一階又は半地下階は、居住空間というよりテナント用途となっている。
その上は一階となり、現在ではオフィスとなっている。更にその上階つまり2階にはミラ家の住んでいた住宅が設置された。 
第2計画によるパティオ側の階段は、ここまでの利用になっている。現在、そこは展示会場となって活用されている。
もし階段を全階に設置していたとすれば、彼が言うように本当に居住面積が少なくなったのだろうか?

私はその第2計画にそって図面を描いてみた。パティオ側の階段を全て立ち上げてみたのだが別に階段の面積に変化はなく居住空間の面積にも彼が言うような面積の影響はない。
とすればガウディは何を伝えようとしたのだろうか?
本格的に、もしパティオ側階段を全階に設置したとすれば、パティオ側の各階における採光面積は確かに変わる。つまり下層階ほど自然光が入りにくくなり、パティオ側開口部の前の階段そのものが採光を遮ることにもなる。
とするとベルゴスとの会話にある居住面積が少なくなるというのは、むしろ“採光面積の変化”のことをガウディは言いたかったのではないのかということになる。

ガウディにとってエンサンチェス地区における居住空間を語る際に、例えばカサ・バトリョ以降、建物に対する自然光の問題は、ガウディの建築計画においては欠かすことのできない大きなファクターであった。

パティオの形は円型とトラック型になっている。
実際にはもう一つ、その二つのパティオの間に配管衛生設備用のひょうたん型のパティオがあり屋上からでなければその様子を見ることができない。

蛇行螺旋階段の形態の演出については、ガウディ独自のコード表現の1つとなるアイデンティティーの演出をこの階段にも試みようとしたのだろう。が、現実的に居住空間を優先すると彼のコード演出はこの場では断念したと言うことも考えられる。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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