第48回 物語の表現と機能性の両立に作品のアイデンティティーを求めて

カサ・バトリョが、ガウディの建築の中でも手の込み入った計画であったことは理解できる。ではなぜそれまでして作品を作ろうとしたのだろうか。
はじめにオーナーの趣向がこの中に取り込まれていることが読みとれる。それに合わせてガウディは、彼の建築家としてのアイデンティティーを、作品に有機性や神話的な要素を取り入れることで演出しようとしたことが伺える。
例えば、階段部分を見るだけでは、普通どのような趣向を作家が駆使しているのか判断しにくい。そこで階段を毎日計り続けるとどうなるのか。

次第にある種の工夫がされていることに気が付く。階段は、使いやすさが求められるのは当然のことであるが、さらに他の要素が付け加えることに気が付く。
その要素とは、機能だけではなく、別の空間へのコネクションとしての空間要素として建具の詳細やパティオにおける階段の形状や壁仕上げ、手摺り子などの詳細処理についても何らかの物語性が付け加えられていると考えるが、それは私だけの思い過ごしだろうか。

カサ・バトリョにおける中央パティオの階段室は、自然光の光量を調節している壁面処理と見られる。各階のパティオ面の窓の大きさが上層階では小さく下層階では大きい。さらにパティオの断面を見ると擂り鉢型のようにV字型の断面になっており上層階の階段面積が下層階の階段面積より小さいことが一目でわかる。これだけでも採光面積を調整していることが解る。

この階段室の手摺り子の姿を見ると、構造と機能は勿論のことそれを支えるリングの中央に挟まっている槍は、まるで矢に見える。全体的にはリンゴを縦割りに切断したとき見られる断面、腎臓のような形、豆のような形にも見えるが、どれも外部で表現していると思えるドラゴンとの関わり合いがありそうにもないがどうだろうか。
いずれにしろ手摺りの重みで押しつぶされたように変形したリングに挟まっている矢はどんな意味を示すのか。ドラゴンの小骨なのだろうか。それとも勇者によるドラゴン退治に必要であった武器として考えることができるのだろうか。それともドラゴンが飲み込んだ動物達の小骨のような表現なのか、といったように想像の世界は果てしない。

この考えは、建築姿勢の一端を見せている彼の日記からの憶測で記している。
以前の章で”装飾に関心を持つには、詩的アイデアを想起させなければならない。目的は歴史的、伝説的、躍動的、象徴的、人間の生活における寓話、躍動,,,”と述べたように彼の作品には物語性があることを裏付けている。

このようにして内部空間をも架空のドラゴンの内蔵として見ることで、再び神話ドラゴンとの関わりが生まれてくる。

パティオの階段室に現れているベイジュ色の柱の柱頭では、跳ね出しの床を支えている。
C綱の抱き合わせのようなこの柱の形も、柱脚下部をみると大腿骨的であり、また植物の様な処理にもなっている。それがファサードのドラゴン的解釈とどのように関連づけられるのか?
更に総体的なガウディによる演出を検討しなければならない。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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