第46回 自然界からアイデアをもらう事は地域性へのこだわりでもある

塔の機能からすれば、灯台のような海の信号の他に、見晴台、電波塔、イスラム建築ではミナレットと言われる説教台、日本では火の見櫓等というように住民への知らせのためのメディアとして昔から利用されていた。ガウディはその尖塔に住民の象徴と信仰を毎日促す役目となる十字架を設置した。これは、少なくとも彼の社会背景と当時の生活環境から想像できる。

その十字架も従来の二次元的なというより平面的な十字架ではなくて、何処から見ても十字架として確認できるようにというアイデアがこの立体十字架を作り出した要因ではないだろうか。
その立体十字は、具体的な演出として糸杉の実からの発想である事をマタマラがデッサンを描いて紹介している。

マタマラは彼の父ジョレンツ・マタマラと一緒にガウディの身の回りの面倒を見ていた家族と言う気がする。
ジョレンツは大学生のガウディとエドワルド・プンティ工房で知り合って以来の関係で、気心が知れていた関係だと思う。ジョレンツは模型職人であるが彫刻家でもある。その息子ホワン・マタマラも父の後を継ぐようにしてガウディと共にサグラダ・ファミリア教会に従事していたわけである。
その気心しれたホワン・マタマラが1960年に書き残した“建築家(ガウディの事)との歩み”と言うタイトルでガウディに纏わるエピソードがたっぷり記されている。
ガウディの裏話まで知っているような人が残した資料は、ガウディに関しては貴重な資料であり信憑性も高い。
その彼のメモの中で示しているガウディのモチーフの取り入れ方は、別に不思議なことではないだろうが、彼の自然観察の鋭さを物語っているのではないだろうか。

このような自然からのモチーフがガウディの作品にどれだけ見られるのだろうか。
ガウディの自然への観察は、1870年の青年期の蜜蜂の小論文からその様子が伺える。
実はこの小論文、兄フランシスコ・ガウディの名で発表されているが、実際にはアントニオ・ガウディの論文として知られている。
その中で“我々の農夫が蜂巣を再生することになるが花の多いところに蜂巣箱を置くことに注意しなければならない。蜂を食べてしまうような強い動物としてコウモリとツバメ、雀、蜘蛛から保護しなくてはならない。“
蜜蜂の観察とその労りが伺える。

ガウディは、コロニア・グエル教会地下聖堂計画において、周囲の松の木林を意識しながら地下礼拝堂の建築外壁テクスチャーに至るまで気配りをしている。
まるでカメレオンの様にミメティック(同調)させようとしているかのようでもある。
このような自然との共存を考慮しながら、更に地中海文化も反映させているところをみると、ガウディの地中海への固執がここでも読みとることができることになる。

このようにして神話、寓話、歴史、物語などが建築作品の演出手段となっていることは既にガウディの日記からも伺えることは既に述べているが、演出においてさらに新鮮な芸術表現とするために、地域性又はアイデンティティーの反映を重視していることがわかる。

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この記事を書いた人

実測家、建築家・工学博士

バルセロナに住みながらガウディ建築物の実測とその図面化を行う。特にサグラダファミリアの実測図 (1/50 の断面アイソメ図)には5年、グエル公園の全体立面図には8年の年月を要した。実測の過程で、ガウディ建築に込められたデザイン・構造・神話、さらに地域性やアイデンティティを縦横に読み解いていく。その他、研究を生かして1998年からユネスコ・フォーラムの招請を受けてベラクルスのサン・ホワン・デ・ウルワ城塞修復計画ワークショップをする。以来、全国において、ガウディ、実測、 歴史、コード、作図についての説明を60回以上の展示会・講演会、まちづくりワークショップ活動と共に進めて現在に至る。特にガウディの煉瓦構造とその素材を生かした応用として北海道江別市のモニュメントBT1をはじめとして、ガウディの生誕の町リウドムスでのアルブレ広場では日本とスペインの特性を生かした改修計画、ガウディのデザイン手法を生かした東京都府中市の北山幼稚園のデザイン・設計施工を手がけた。2015年にはバルセロナ建築士会での田中裕也の作図展やサロンデマンガの作図展、続いて2016年には、初めて銀座の渋谷画廊にてガウディ建築の作図展を行った。





1952年9月30日北海道稚内市生まれ

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