ガウディは実験用に2本の鐘を作っている。
一つの鐘の大きさに対してその倍の大きさの鐘というから、現在残されている2.87mの鐘の倍とすれば、5.74mの長さの鐘になるか、それとも半分の1.45mの鐘ということになる。いずれにしろそのペアーになるもう一本の鐘がまだ見つからない。 ガウディは、“通常の鐘は、内部の直径を広げることで音の調整をすることができるが鐘の厚みが薄くなって亀裂が生じ易くなる。ところが筒状の鐘ではその問題解決として双曲線となり幾何学的に調整し易くなっている”と言っている。
繋ぎ目があってはならない鐘を造って設置する難しさ
当時の製造技術では、 鐘の長さが5.74mは大変な大きさとなり、その重量は少なくとも2.2トン以上となる。実験の為の大きさにしては大変なコストとなるだろうし、それを支えるにもかなりパワーのあるクレーンを利用しないと移動すらできない。
さらに製造技術も従来の蝋型では、素材を流し込む手法を考えないと長さの関係から歪みが出来てしまう難しさがある。他に手法があれば問題はないだろうが、今のところそこまでの必然性が生れていないのも事実である。
施工問題も含めて、本来であればガウディの考えた長い筒状の鐘は、その長さの問題から鐘楼の尖塔部分を完成させる前に設置しなくてはならない。
ところがその鐘を納める鐘楼もガウディが亡くなる1926年までには、誕生の門の “ベルナベの塔”に筒状の鐘一本だけを上部に置いたまま尖塔が設置される。
とすればガウディの鐘についてどうするつもりだったのか?
鐘は、素材そのものの振動とそのフォルムによって音が定められるわけで、その素材に継ぎ目があってはそこで密度が変わり、音もそこで途切れてしまう。例えできたとしても、長い間の強い振動の為にその継ぎ目に問題が生じるので、そのために鐘楼内部で模型のように組み立て式にすることはできない。
ましてや20mの長さの鐘は長さと径にも問題がある。
それらの問題を残しながら、他の鐘楼部分も尖塔に鐘を設置せず完成させているということは、継続者達がガウディの鐘を無視して工事を続けていたことになり鐘楼としての機能を果たすことができないということにもなる。
そんな建築計画の歴史的背景を気にしながらガウディの考えた筒状の鐘は、“ガウディの幻の鐘”として未だに研究の余地があるということを考えさせられる。
一段ずつ大きさが違う階段を全て測るということは・・・・・・
螺旋階段も130段目からは、鐘楼部分を取り巻くスパイラル状に設置された階段であり,初めのビオレ風の螺旋階段とは回転方向が逆となる。
生理的に128段も一気に上り下りすると目眩がする。ましてや最上段の334段まで同じ方向で登るとなると想像するだけでも吐き気がする。
実際には踊り場と同じようなテラスを設けながら、しかも進行方向を変えるというのは生理的にホッさせてくれる。
そんな階段を測るのだから一気呵成にはいかない。
しかも上へ登るに従って少しずつ階段の踏面の大きさが異なる。
ここで階段を一段ごとに測らなくてはならないということに気がつき一瞬、冷や汗がサッと額を濡らしたような気もした。
しばらく鐘楼のテラスに出て外の空気を吸いながらバルセロナの街を眺めることにした。このまま階段を一段ずつ測ることになると更に膨大な時間が費やされるということで躊躇してしまったのだ。
ここでようやく事をなし得るには全て“ステップ”や経緯があることを身体で感じ始める。
階段を測る事へのマンネリとその実測の取り違えも起きそうな気がした。
そこでサグラダ・ファミリア教会鐘楼の階段実測の視点を変えることにした。